成し遂げるか、寝るか

結局、人生をどう使うかなんて完全に各自の自由だろ。社会を変えるのに使ったっていいし、自分が色んな風景を見て楽しめればそれでOKって考えだってありだ。

人は社会的な生き物だから…というのも、誰かがそう言っているというだけで、従わなきゃいけないことでは全くない。

特に今の時代は、選択の自由が大きく与えられている。好きに選べる。ほんとうに。

 

そんなフィールドで、自分はどうしたいか。どうこの時間を使いたいか。死ぬときに、どう思っていたいか…。

 

少なくとも、

不満たらたら

あれもしたかった、これもしたかった

なんでしなかったんだろう

あーくそ、自分のバカ、バカ、バカ。。

 

と思って死ぬのだけは嫌だ。

 

あーくそ、ここで終わりか。これやり遂げたかったなぁ。

でもここまで、これをやった。これをした。結果あの人を救えたし、その過程で過ごしたあの時間は本当に楽しかったし、まぁ、満足かな。あぁー、楽しい時間でした。神様、ありがとう。

 

位、思えるといいな。

 

 

そのために必要なのは、心を賭して成し遂げたいと思うことに取り組み、達成を目指して真剣に努めることだな。

なんだか当たり前だ。

 

でも、これがまず第一歩。成し遂げるか、寝るかで、自分は成し遂げることを選ぶ。

死に際に後悔したくないから。

 

あぁウケるまじで

tragedy night!!!それでも。

ネタにすると思えば、ギャグだと割りきれば、ウケるものだと思い込んでさえしまえば。

 

本当のただのネタになる。気持ちふさがずに、いられる。

 

自分の気持ち次第だな本当に。

尊い学びを得たよ。

 

夢よありがとう!

受験勉強体への染み込み

まず、思い込みを外して今の事象を捉えると

 

仕事が出来ない。ってどういうこと?どう感じてるのか?

どれくらい仕事が進んでるか、何を成し遂げたのかを語れないと感じているため、うまく回っていないと感じている。実際にはいくつかしていることはあるのだけれど。

なぜそうなるのか?

→自分の大きな目的が描けておらず、そこと紐付いてないからだと思う。こうしていきたい、だからこれをする。と語れればいい。

なぜそれが今できてないか?

→降ってくる仕事、振られる仕事、やらなきゃいけないことの方が簡単だから。与えられた問題を解くだけ。

そして、自分はそういう、簡単な問題から解くように、10年間訓練されてきた。受験勉強の世界のなかで。計算問題をさっさとかくじつに片付けて、残った時間で大問を解く。

大問を解くために、計算問題を早く解く。

そのプロに自分はなってきた。

 

だから今、仕事において、計算問題かた取り掛かってしまう傾向が強いんだ。問題自体から考えなきゃいけない、難しい大問はいつも後回しにして時間切れになってる。

 

それが、原因だ。衝撃。

 

これを自覚できた今、同じようにはもういかない。

大問を解く時間を先に取ってしまおう。そのうえで、必要な小問を解いていけばいいんだ。

 

小問に分解できた後の強さは誰にも負けない。