成し遂げるか、寝るか
結局、人生をどう使うかなんて完全に各自の自由だろ。社会を変えるのに使ったっていいし、自分が色んな風景を見て楽しめればそれでOKって考えだってありだ。
人は社会的な生き物だから…というのも、誰かがそう言っているというだけで、従わなきゃいけないことでは全くない。
特に今の時代は、選択の自由が大きく与えられている。好きに選べる。ほんとうに。
そんなフィールドで、自分はどうしたいか。どうこの時間を使いたいか。死ぬときに、どう思っていたいか…。
少なくとも、
不満たらたら
あれもしたかった、これもしたかった
なんでしなかったんだろう
あーくそ、自分のバカ、バカ、バカ。。
と思って死ぬのだけは嫌だ。
あーくそ、ここで終わりか。これやり遂げたかったなぁ。
でもここまで、これをやった。これをした。結果あの人を救えたし、その過程で過ごしたあの時間は本当に楽しかったし、まぁ、満足かな。あぁー、楽しい時間でした。神様、ありがとう。
位、思えるといいな。
そのために必要なのは、心を賭して成し遂げたいと思うことに取り組み、達成を目指して真剣に努めることだな。
なんだか当たり前だ。
でも、これがまず第一歩。成し遂げるか、寝るかで、自分は成し遂げることを選ぶ。
死に際に後悔したくないから。
モットー
飽きたら寝ろ
受験勉強体への染み込み
まず、思い込みを外して今の事象を捉えると
仕事が出来ない。ってどういうこと?どう感じてるのか?
→
どれくらい仕事が進んでるか、何を成し遂げたのかを語れないと感じているため、うまく回っていないと感じている。実際にはいくつかしていることはあるのだけれど。
なぜそうなるのか?
→自分の大きな目的が描けておらず、そこと紐付いてないからだと思う。こうしていきたい、だからこれをする。と語れればいい。
なぜそれが今できてないか?
→降ってくる仕事、振られる仕事、やらなきゃいけないことの方が簡単だから。与えられた問題を解くだけ。
そして、自分はそういう、簡単な問題から解くように、10年間訓練されてきた。受験勉強の世界のなかで。計算問題をさっさとかくじつに片付けて、残った時間で大問を解く。
大問を解くために、計算問題を早く解く。
そのプロに自分はなってきた。
だから今、仕事において、計算問題かた取り掛かってしまう傾向が強いんだ。問題自体から考えなきゃいけない、難しい大問はいつも後回しにして時間切れになってる。
それが、原因だ。衝撃。
これを自覚できた今、同じようにはもういかない。
大問を解く時間を先に取ってしまおう。そのうえで、必要な小問を解いていけばいいんだ。
小問に分解できた後の強さは誰にも負けない。
思い込むんじゃなくて
事実として客観的に認める。
そのうえで、どうするかを考える。
自分の世界がどんな世界かは、選べる。
ビースト
自分の心の中の野獣
野獣というか百獣の王
一方キツネもいる、森もある、いろんな顔がある。
どいつに顔を出させるか。
そらやっぱ百獣の王だろ。
獰猛で雄々しくいたい。